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中埜大輔の実家と旧姓は?離婚後も中埜姓を名乗るのはなぜ?

中埜大輔の実家と旧姓は?離婚後も中埜姓を名乗るのはなぜ?

ミツカンお家騒動の渦中の人となった中埜大輔さん。
「種馬事件」の裁判ではまさかの敗訴となり、控訴審でも敗訴となってしまいました。

エリートバンカーからミツカン中埜家に婿入りし、人生が大きく変わることとなった中埜大輔さん。

中埜大輔さんの実家はどこで旧姓は何なのでしょうか?
離婚が成立した今でも中埜姓を名乗る理由についてご紹介します。

目次
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中埜大輔の実家と旧姓は?

中埜大輔さんの出身地は東京都新宿区
実家の場所は明らかになっていませんが、今も実家が新宿区にあるかは不明です。

旧姓も公表はしていません。
ですが、中埜大輔さんのfacebookのアカウントが「Daisuke Eno Nakano」となっていることから旧姓は「江野」さんの可能性があります。

中埜大輔さんのプロフィールはこちら。

氏名:中埜大輔
生年月日:1979-1980年生まれ(43歳)*2023年現在
出身大学:慶應義塾大学
出身高校:慶應義塾高校
特技:ラグビー

高校時代にはラグビー部で国体に出場し全国3位になっています。

慶應義塾高校は偏差値76の進学校。
そこでラグビー部に所属し、国体出場で全国3位の成績を収めるとは、まさに文武両道ですね。

顔写真を見ると現在はラグビーをイメージするようなガッチリ体型ではありませんが、どちらかというとキリッとしていて爽やかなイケメンです。

中埜大輔さんの旧姓やラグビー部時代の写真等残っていないかなと、過去の記事や国体の成績を調査してみましたが、中埜大輔さんの高校時代は1995~1998年頃のため古い記録が残っていませんでした。

過去には、ミツカンお家騒動の中でミツカンホールディングスの現会長である中埜美和さん(元妻、中埜聖子さんの実母)が中埜大輔さんの国体出場を疑い、ラグビー部の恩師に事実確認をしたことがあったようですが、その後の動きが無かったことからラグビー部で国体出場は事実だった可能性が高いです。

【中埜大輔】離婚後も中埜姓を名乗るのはなぜ?

中埜大輔さんは元妻である中埜聖子さんと離婚訴訟の末、2019年に離婚が正式に成立しましたが、中埜大輔さんは離婚成立後も「中埜」を名乗り活動を続けています。

中埜大輔さんが離婚後も中埜姓を名乗るのは、会えなくなった息子とのつながりを残すためなんだそうです。

最愛の息子と会えないなんて耐え難い辛さですよね。

この世にたったひとりの息子と引き離されるのはつらすぎます。息子に再会したときに彼とのつながりを残しておきたくて、離婚成立後も私は中埜姓を名乗り続けているんです。

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「種馬事件」として裁判にまで発展した、ミツカン中埜家による「父子引き離し事件」の経緯はこちら。

2012年:中埜聖子さんとお見合い
2013年:中埜聖子さんと結婚し、中埜家に婿入り
     結婚時に妻・聖子さんの財産の遺留分を放棄されられる
2014年:ミツカン英国支店に赴任(家族で移住)
     待望の長男誕生
     長男誕生4日後に中埜家の養子縁組を迫られる
2015年:大阪物流センターへ単身赴任を命じられる
     息子と引き離される
2017年:離婚訴訟
2019年:離婚成立
     ミツカンから解雇される

わずか7年間の間に妻となる女性と出会い、結婚し、待望の長男が誕生し、長男を戸籍上奪われ、家族と引き離され、離婚され、解雇される。

まさに激動の7年です!

事実は小説よりも奇なりという言葉がありますが、それにしても奇すぎます!

中埜大輔さんはこの父子引き離しに関してミツカン側を訴えていますが、第一審と第二審で敗訴となりました。

この判決に不服として、今度は元妻と息子が住んでいるイギリスで行動を起こすようです。

まとめ

中埜大輔さんの実家
出身地は東京都新宿区

中埜大輔さんの旧姓
「Eno」と表記されていることから、江野の可能性あり

離婚後も中埜姓を名乗る理由
引き離された息子とのつながりを残すため

今回は中埜大輔さんの実家と旧姓、離婚後も中埜姓を名乗る理由についてご紹介しました。

中埜大輔さんの父子引き離し事件は未だ解決していないです。
日本での第一審、第二審の敗訴を受けて、次の戦いは息子さんが住むイギリスに移すことを公表しています。

中埜大輔さんにとって最愛の息子さんと幸せに暮らせる日が来ると良いですね。

最後までお読みいただき、ありがとうございました。

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